フードジャーナリスト曽我和弘の三田“食”紀行

フードジャーナリスト曽我和弘氏が福助グループをめぐる食紀行。スタッフから素材や料理にかけるこだわり、お客様に対する思いなどを聞きだしながら、曽我氏の鋭い論評を交え「三田の食」を語っていただきます。

Vol.7:
自分ならではの細かい仕事、丁寧な仕事を披露したくて独立を。和の職人・西川弘之料理長が提供するくずし割烹とは…。
 料理人は、常に自分の腕を磨くべく研鑽を積んでいる。もし一人で自らの料理を作るならば、細かい仕事や丁寧な仕事を見せることができると誰もが思っているのだ。三田駅前の「三福」で長年厨房を任されていた西川弘之さんが念願の独立店を持った。テーマは天然の魚と地の野菜で作る会席風料理。しかもひと頃流行したくずし割烹の店として三田駅前でスタートする。今回はオープンしてまもない彼の店「にしか和」にお邪魔して和の一品、一品を賞味して来た。丁寧な仕事を誇る西川料理長の料理とその店について言及したい。

「三福」の料理長が独立

c料理人とは不思議なもので店の大きさによって腕の見せ所が違って来る。本来は一人で細かい技を見せながら作りたいのだろうが、店舗が大きくなり収容人数が変わって来ると、一人では回し切れなくなるので下のスタッフに指導をして同じような料理が提供できるようにしていく。つまり規模が大きくなればなるほど自分ならではの細かい仕事や、ひいては自分の味を表現しにくくなってしまうわけだ。なのでいくら居心地がよくても独立しようとする人が出て来る。一国一城の主になりたいといってしまえばそれまでかもしれないが、中には細かい仕事や丁寧な仕事をやりたくて一人立ちする人間もいるのだ。ある程度の大きな店の料理長までなったのに、独立して小さな店を構えてしまうのがそんな思いの料理人と考えてもらえばいい。
三田駅前の「三福」で長年料理長を務めていた西川弘之さんもそんなひとり。この度、「三福」を卒業し、自身の店「にしか和」を構えた。三田駅前に店を出したのも、「福助グループ」とある程度の関係を保つため。それに同社・福西文彦社長が打ち出す独立支援制度に準じた形になる。

b聞けば、西川料理長と福西さんの関係は永い。福西さんがまだ店を持っていない頃からなので20年以上の知己だと思う。福西さんが屋台から「ふく助」を立ち上げ、それから三田駅前での出店を目指し、「三福」を造った。「三福」は居酒屋よりアッパーな和食店で、接待需要にも対応している。だから日本料理をきちんと作ることができる西川さんの腕が必要だったのだろう。「福助」グループの中谷マネージャーは、西川料理長を称して「真面目に料理することだけを考えている職人」と言うが、「にしか和」での彼の仕事ぶりを見ているだけでその言葉の真意が伝わって来る。出て来るものは細かな仕事が施され、手を抜かない主義が垣間見られるのだ。8月21日にオープンした「にしか和」は、カウンター席と小上がり一つという陣容の小さな割烹だけに彼の個性が発揮できるのではなかろうか。私は会席風コース仕立てにしてもらったが、焚き合わせの煮方や造り盛りの美しさに、なかなかのレベルだと診断したくらいであった。

三田駅前でくずし割烹の店を

dところでJR三田駅(神戸電鉄三田駅)からすぐの所にオープンした「にしか和」は、くずし割烹の店である。そもそもくずし割烹とは、従来からの会席料理にとらわれない自由な発想から生まれた日本料理の一つのスタイル。祇園にあった「枝魯枝魯」がその流れをポピュラーにした。人気が沸騰しだした頃の「枝魯枝魯」を取材したことがあるが、カウンター主体の店が賑わっており、当時は予約が取れない店とまでいわれていた。この店主は、その後京都の店を閉めてパリに進出。当時パリ在住だった雨宮塔子さんのエッセイの中にその店が出て来ている。「枝魯枝魯」の成功以降、全国の色んな所でくずし割烹の店が見られるようになった。別にこの店をまねたわけではないが、型にはまった会席コースより、食べる側が受け入れやすいのだろう、今や流行の域の外に出て存在するようになっている。
「にしか和」のメニューは、日々入る野菜や魚が異なるために日替わりで、紙に手書きで記されている。割鮮は造りを、焼八喜は焼物、多喜合は煮付、菜彩はサラダ、焚合わせと揚物はそのままで、その他に肴として「地玉子だし巻き」や「アスパラ塩茹で」などが加えられている。中谷マネージャーの話では、基本はアラカルト中心だそう。けれど私のようにコース仕立てで組んでほしいと伝えれば、そのように会席風に出してくれる。ちなみに会席風コースは6000円~で、大皿盛りの提供なら5000円でも供してくれるようだ。
冒頭にも書いたが、西川料理長はこれまで「三福」では出し切れなかった細かい仕事を表現しようとしている。20席もないこの規模ならそれも可能で、一から十まで彼が仕事をすることで、このくずし割烹の個性を作ろうとしているわけだ。

e「にしか和」は、ふらっと入っても寛げそうな店づくりで、勿論、接待需要にも対応している。この日も色んな客層が席を埋めていたが、「本当に旨いもの、料理人の腕が発揮されたものを口にしたければ20席以下の店に行くべし」という私の自論を実践したかのような店である。ただ、入ってふと不思議に思ったことが一つある。それは看板に“地魚料理”とあることだ。三田は海に面さず、地魚なんてないはずと福西さんに尋ねると、「天然の魚しか使わないというこだわりを文字にしたかったんでしょう」との回答。海がない三田にあれど、漁師町レベルの上物を提供する_、そして野菜は三田の地のものを、総じてこのこだわり方を“地魚料理”と称したようだ。

fベッドタウン三田には、「福助グループ」が営む店以外にも色んな飲食店がある。三田の人に聞くと、それでも「にしか和」は異色で、三宮や梅田の繁華街にあっても三田にはこの手の店は少ないだろうとのことであった。ましてや交通の便がいい三田駅前では唯一の存在。長年研鑽を積んだ和の職人が挑むくずし割烹なら私ならずとも期待は大きいに違いない。時季にもよるが、由良漁港直送の鱧の湯引き(1600円)や、天然鯛の造り(1600円)、三田牛炙り焼き(1600円)、のどぐろの煮付(2600円)、瀬戸内の穴子一本揚げ(1200円)、三田水茄子の揚げ出し(600円)、三田こんにゃくピリ辛煮(500円)、アスパラ塩ゆで(650円)などと書かれたメニューを見ていると、迷ってしまう。「いい魚を出したくてかなり原価をかけています。時には『三福』に来る由良漁協直送の魚も回って来ますし、野菜はここから15分ほどの距離にある須磨田地区から新鮮なものがやって来ます。とにかく鮮度にこだわりながら私なりの腕を披露したい」と西川料理長は話していた。

g「にしか和」が名物にしたいと考えているのが「鯛の土鍋飯」である。これは三田米のコシヒカリを用い、天鯛の鯛とともに炊いたもの。土鍋で上手に炊ける店は少なく、ここでも西川料理長の腕が発揮されている。加えてこれに付いて来る味噌汁が秀逸で、味噌よりだしが利いている珍しい味付け。三田味噌を使用して作るが、だしを利かして味噌を利かさないという西川料理長の考えが凝縮されている。この薄さで十分味は主張しているのだ。考えれば、さんざん食べた後は濃いものより薄味を欲する。仕上げとしてこの味噌汁はそれを具現化しており、程より調味が面白い。鯛飯もさることながらこの味噌汁も印象的だった。
「にしか和」は、この手の店には珍しく、翌1時まで営業している。西川料理長は、二軒目の店や仕上げの一杯にも使ってほしいと考えて24時30分をラストオーダーにしているという。21時を過ぎれば、酒のアテのような品もメニューに加わるそうだ。何はともあれ、和の職人が育んで来た調理の腕をくずし割烹として楽しんでほしい。

 

<データ>

地魚料理 にしか和

住 所 三田市駅前町8-7
T E L 079-569-8080
営業時間 17:00~翌1:00
休 み 日曜日
メニュー

明石たこ湯引き     1200円
下関さばきずし     800円
おまかせ造り盛り合わせ 1600円
スズキと茸の朴葉焼   900円
地玉子だし巻き     650円
天然鯛あら焚き     1500円
合鴨と無花果のサラダ  1200円
三田あまいトマトを塩と柚子味噌で  500円
鯛の土鍋飯(二人前)    2000円

プロフィール

曽我和弘
(フードジャーナリスト・フードプランナー)

廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカ社など出版畑を歩き、1999年に編集制作兼企画会社の㈲クリエイターズ・ファクトリーを設立。大ベストセラーになった100円本や朝日放送とタイアップした「おはよう朝日です。雑誌です」を出版し、ヒットメーカー的存在に。プロデュース面でもJR西日本フードサービスネットの駅プロデュースに参画し、その成功によって関西の駅ナカブームの火付け役と称されている。現在、月に13本の連載を抱え、食関連のコラムを多く執筆している。

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