田助物語 densukemonogatari

福助グループオリジナル酒『田助』。

山田錦100パーセントの純米酒で、今や福助グループの代表作のひとつと言ってもいいほどの人気のお酒です。
スッキリした飲み口は、老若男女分け隔てなく飲みやすいと感じていただけることでしょう。
それもそのはず、原料の山田錦を福西社長自らがつくり、社長が信頼を寄せる京都の名門の酒蔵へ預けて仕込んでもらっているのですから。
そんなこだわりある『田助』がどのように誕生して今日までみなさまに愛され続けているのか。
それを知ると、『田助』を飲んだことのある方はより一層おいしく感じられ、まだ飲んだことのない方は、きっと飲んでみたくなりますよ。

〝どうしても届けたい〟という思いが『田助』を誕生させた

『田助』をつくろうと思われたきっかけはなんだったのでしょう

『田助』が誕生したのは2001年のことです。僕の実家は、兵庫県三田市須磨田というところで専業農家をしていました。須磨田というところは、三田市の中心部から国道176号線を車で20分ほど北上したあたりです。山々に囲まれた中に田園がある今での自然がいっぱいのところです。
その頃は、9歳上の兄が農業を営んでいました。三田米コシヒカリからいろんな野菜まで、本当においしい物を作っていたので僕の店で使っていたのですが、兄が作っていた中に、酒米の山田錦があったんです。
自慢の山田錦を使って、福助オリジナルの日本酒を作ろうと思いすぐさま行動を起こしました。

酒蔵はどのようにしてハクレイ酒造さんに決められたのですか

毎年、秋に東京で『日本酒大試飲会』というのが開かれていまして、そこでは全国の酒蔵のお酒が試飲できるというので、日本酒の勉強をしに毎年出かけていました。たくさん試飲した中から京都府宮津市にあるハクレイ酒造㈱さんに頼みました。中西社長(元会長)に「ラベルを張り替えるだけでなくて、うちで作った山田錦で真のオリジナル酒を作っていただけないか」と相談したのです。話が決まってからはすぐ兄にその事を持ちかけて、さっそく翌年春に植え、秋に収穫した分から酒造りを進めました。

ハクレイ酒造さんにお願いすることが決まって、翌年に『田助』が誕生したわけですね

話が決まってから実際に作り始めるまでトントン拍子に話が進んだようにみえますが、この『田助』づくり自体が、実は、うちにとってはなかなかの冒険だったのです。というのも、酒造りを相談したときのハクレイ酒造さんからの返事は「うちの最低ロットは一升瓶1000本。この1000本をすべて買い取ってくれるならお受けします」というものだったからです。

一升瓶1000本となると、かなりの数量ですよね

当時の福助グループの店舗といえば、まだ『福助』の一店舗のみ。改装前でしたから規模も今の半分くらい。加えて他の地酒も扱っているわけですし。
現在グループ内8店舗で扱って、ようやく年間1500本と考えると、その当時に年間1000本という数がどれほど大変なのかがおわかりになると思います。これを毎年つくろうとするわけですから、実は相当なリスクを覚悟の上でした。今から考えると…無謀だと思いますが(笑)

そんなリスキーなことを覚悟しながらも決断された理由はなんだったのですか

兄が本当にいい物を作っていたからということと、兵庫県三田市は、こんなにもおいしい酒を生む場所なんだぞと伝えたかったからです。だからどうしても作りたかった。その思いが強くて、『1000本買い取りますので、是非に!』と、迷わずお願いしました。
自分が作った自信作を本当に人に届けたいという思いがあれば、何とか売りきろうとするものです。
それだけ自分の思いが本気だったということでしょう。
 内心の心配とは裏腹に、おかげさまで完売致しております。本当は10年寝かせて『田助 10年古酒』を売り出そうかと目論でいましたが、その後も毎年売り切れるので、未だ叶わずで (笑)

三田の子供たちと一緒に『田助』づくり

『田助』はまさに三田という土地が生んだ銘酒ですね

そうですね。ですから僕は、その三田の素晴らしさを子供たちに感じてもらいたくて、地元三田の子どもたち向けに農業体験イベントをしています。

どのようなイベントですか

毎年、田植えと稲刈りの時期に、地元の小学生親子に農業体験イベントを実施しています。参加してくれた子供たちにはいつも「今日、君たちが刈ってくれたお米は山田錦という酒米です。これが一年後にはこの『田助』という日本酒になります」と説明しています。そうすれば、自分たちが何をつくっているかがわかるでしょう。

なぜ、そのようなイベントをされるのでしょうか

僕が小さい頃、よく家の手伝いをしていたからわかるのですが、大人になってみると自分が育った町は、おいしいお米や野菜ができる、つまり、こういうとこなんやって実感するんですよ。イベントに参加してくれた子供たちがたとえ農家の子でなくても、今日のことがきっと思い出になって、〝自分が生まれ育った三田はこういうとこやった〟って思い出してもらえると思うんですよ。
自分の育った町はこういう町だと言えるって素晴らしいことだと思いませんか。

このように酒米から自分たちで造るオリジナル酒というのは他で聞いたことがありません

そうでしょうね。『田助』を店舗に並べ始めた当時は、一個人の飲食店が自家米で酒をつくってメニューに加えるのは全国初と言われたほどですから、現在唯一かどうかはわかりませんが、今もまだまだ珍しいことに変わりないと思います。

『田助』はスッキリとした味わいですが、味へどのようなこだわりがあるのでしょうか

料理と一緒に楽しめる食中酒をつくりたかったのです。ですから、スッキリした味わいを追求しました。
『田助』は、どちらかといえば冷して飲んで欲しいお酒です。日本酒は、甘口を-、辛口を+で表し、数字が大きいほどその味は辛さがが強いのですが、田助は+3という評価です。+10までいくと辛さが強まりますが、+3くらいだと冷やした時にスッキリと感じられて、冷えているのがゆるむと、ほのかに甘みを感じると思います。
 『田助』は純米酒だけれども吟醸感も味わえる、そんなお酒です。

いつ頃から満足のいく味わいに仕上がるようになったのでしょうか

最初の年はアルプス酵母で発酵させたのですが、でき上がってから時間が経過するとともに酒の味がヘタッたように感じたので、翌年から9号酵母に変えていただきました。ご存知の通り、酵母菌で日本酒の香りや味が変わりますから僕自身も酵母菌のことを随分と勉強して、その酵母に決めました。以来、ずっとこの酵母で仕込んで頂いています。

こだわり抜いて出来上がったお酒なのですね

味わいを計算し尽くしてこだわっていますから、ハクレイ酒造さんにお願いしてそこの味わいに狙いを定めて天候や気温やタンクの状態を見ながらお酒を搾る日を決めてもらっています。「明日、絞ります」と電話もらうのですが、可能な限り立ち会うようにして、酒造りを見守っています。

原料から自家製というのは、素晴らしいことだと思いますが、お店側にとっては大変そうですね

福助グループには福助などの本格和食店から、居酒屋、ラーメン店まで全20店舗ありますが、各店で手作り料理を提供しています。いっさい手を抜かないことをモットーとしています。そう話すと、〝そこまで手間をかけて大変でしょう〟とよく言われます。手間=面倒だという意味合いでおっしゃっているのだと思うのですが、自分たちはそこを惜しんだらアカンと思ってます。私達の根っこの部分ですから、それはこれからも守って行かないとお客様に失礼です。
『田助』も同じで、ラベルだけ張り替えて〝福助オリジナルのお酒〟とはしたくなかったのです。自分とこの田んぼで育てた酒米でつくったという、正真正銘のオリジナルを作りたかったし、作らなアカンでしょう!

『田助』は、一年かけてつくり上げて提供する料理

それだけ手塩にかけたお酒を『田助』という名は、どなたがどのような意味でつけたのですか

銘柄はみんなで考えました。『田』は、三田の田と須磨田の田をかけて、『助』は、福助からとりました。田助造りに縁のある文字をつなげて『でんすけ』と読ませているのですが、〝田助〟と書いて〝たすけ〟とも読めるでしょう。実は、『田助』ができる過程や、今まで屋台の時代から支えてくださったいろんな方々に、〝助け〟ていただいていることを忘れずに感謝の意を込めているのです。ラベルの書は、兄に書いて貰いました。

『田助』には、いろいろな思いが込められているのですね

5月に子供たちと一緒に田植えをし、10月になれば子供たちと一緒に刈り入れをする。そうして丹精込めてつくった山田錦がハクレイ酒造さんの手を介して春頃『田助という日本酒』になります。私達にとっては『田助』も他の料理同様、大切な料理のひとつ。〝一年かけてつくった料理〟だと思って、万を辞してお客様へ提供しているつもりです。

今後『田助』をどのようなお酒に育てていきたいですか

とにかく、ひとりでも多くの方に飲んでいただきたいです。そのために、他のオーナーさんの店舗でも提供してもらうということですね。
『田助』を作り始めて10年が経ったあたりから、〝そろそろ広めていく時期にきたな〟と感じていました。とはいっても、毎年つくる数量に限りがありますから、ひと月の上限を決めざるを得ないのですが。

『田助』ファンにとっては非常にありがたいことですよね。
どのようなお店で飲めるのでしょうか

ただし、販売していただく際には、条件を設けています。その店舗さんのスタッフに、必ず山田錦の田植えと稲刈りをしてもらうことです。例の農業体験ですね。要するに、〝自分達の山田錦でできた日本酒〟を提供していただきたいのです。
自分たちでつくったわけですから、愛着もあるでしょうし、田植えや稲刈りした思い出と共に味わってもらいたいですね。

『田助』はいろんな形で進化し続けているというわけですね

そうですね、『田助』を通じて、同業者に本物志向の人をひとりでも増やしていきたいんです。単にお酒を出すというのではなく、自分の手間をかけてつくったモノを提供するという気概を育てたい。自分たちで仕込みからするということは、正直、しんどいことですよ(笑) だからこそやらなくてはいけないのだと思っています。
2015年には、神戸は三宮にある3軒の飲食店スタッフが三田市までやってき来て、田植えと稲刈りをしてくれました。これからも、『田助』を一緒につくる仲間をどんどん増やして、一人でも多くの方にお届けできるようにしていきたいです。